着飾る自分、質素な自分 鷲田 清一
【借りるきっかけ】
地元仙台にある せんだいメディアテーク
の館長はどんな人か気になっていた時、鷲田さんの書籍コーナー発見。
鷲田 清一 (わしだ きよかず)
京都市生まれの哲学者。
服オタ。
服装、ファッションを哲学にアプローチするスタイルの先駆者。
チャラチャラしたアプローチではなく落ち着いたものの見方で読んでいてこころ
落ち着く。でもどうして館長をしているのかわからず。
この本は鷲田さんが母校の小学校で哲学を授業するというシチュエーション。
【最初に心が躍った♪ところ】
鷲田先生が生徒に尿瓶(新品の尿瓶)、花瓶(ちょっと汚れ有)、バケツ、ペットボトルに水を入れ、どれでもいいから好きな水を飲むようお願いする。
中に入っているものは同じなのに、どうして容れ物が違うと、飲めない水になるのか。どうして容れ物が違うと中身まで違うものになってしまうのか。
ここから、水=自分 容れ物=服装
に転じて授業が進んでいく。
鷲田さん曰く、
哲学というのは特殊な学問ではなく、人間がそれなしで生きていけないもの。
それがなかったら人間が生きていけないようなもの。そういう生きる上で一番大切なものの意味を問い詰めていく、掘り下げていく、そういう試行が哲学だと思うんです。そうすると、これほど哲学にふさわしいテーマはないわけです。
衣服について考えないことのほうがおかしいという気持ちがありました。
とある。
【こんな人にオススメ】
服に携わる仕事をしている人、していた人
なんだかんだいっても服が好きな人
中年になり服装に気を使わない日々が続いてしまい、ちょっと見直したい人
服装に気をつかわないけど、やはり気にしたほうがいいかもと思っている人
など。
たかが服されど服。
せんだいメディアテーク内 市民図書館より